四国遍路の道

1974年からの四国霊場遍路の記録(現在は1989年アップ中)

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残ってるぞ(パートⅡ初日)CB500Four 1981/11

あれから1年が過ぎようとしている。
夏には教員採用試験に通った。
通信教育で、小学校の教員免許を取った甲斐があった。
その後、高校の非常勤講師で地理を教えた。
そして、久々の無職状態。
納経帳を引っぱり出してきた。

1981(昭和56)年11月20日
前回の続きだから、今治スタートになる。
今回は、前回の反省を元に一人で行くことにした。
その方が気楽であるし、自由がきく。

東神戸港22時40分初の今治行きフェリーに乗った。
東京の多摩から来ている人と一緒になる。
宇和島にいる従兄弟の結婚式に参列するらしい。
おめでたいことである。
しばし話をして眠りについた。

翌21日午前6時30分、今治着。
今回は第59番国分寺が最初の札所になる。
道が分かりにくく、交番で尋ねる。
途中に古墳があった。
そして到着。
今回最初の納経を済ませる。

第58番仙遊寺、第57番栄福寺と無事に打ち終える。
今回は、完全な逆打ちである。

第56番泰山寺は、気を付けなければ通り過ぎてしまうところであった。

第55番南光坊は、町の真ん中にあるといった雰囲気であった。

第54番延命寺を打ち終え、昼食を摂ることにする。

今治から松山に向かう国道196号線沿いの喫茶店のような店に入る。
「臍島」という名前であった。
店の目の前に同じ名前の島があり、そこから取った店名だということ。
遅い朝食はモーニング。
セイロンティー、トースト、エッグで280円。
店員の愛想も良かった。
バイトっぽい女の子が出発前に声をかけてくれた。
「帰りも寄ってくださいね」
まず寄ることはないだろうが、こんな一言が一人旅には嬉しい。

雨模様なので、カッパを来て出発。
チェーンが弛んでいるようで気になる。

第53番円明寺、第52番太山寺と終わって走り出した途端にオイルランプが点滅をはじめた。
気にはなるが、先に進むしかない。

第51番石手寺は、有名な寺らしい。
たくさんの参拝客で賑わっていた。
しかし、なんとなくハデな感じがした。
どちらかというと、寂しいぐらいの寺が好みである。

山門横の51番食堂で、うどんと大飯を食べる。
これが昼食になる。

第50番繁多寺着。
ここまでは、車が先導してくれて助かった。

二人のお婆さんに道を尋ねて、第49番浄土寺に辿り着く。

第48番西林寺は、分かりやすいはずなのに迷う。
迷っている間に、気がつけば山門前にいた。
何となく、不思議な感じがした。
門前で草餅を売っていたので、買って食べる。
100円だが美味い!

番外の文殊院にも立ち寄った。
衛門三郎縁の寺ということであった。

第47番八坂寺に向かう途中で、農道に入ってしまったが強行突破。
無事に到着。
ずぶ濡れで、早く風呂に入りたかった。

第46番浄瑠璃寺は近かったので、お参りすることができた。
納経をしてくれた女の人は、とてもきれいだったのが印象的。
納経が終わって納経所を出ようとしたときに、声をかけてくれた。
「ごきげんよう」
お寺にしては、何となく粋な感じがした。
本日はここまでである。

松山市内にもどり、道後温泉近くの松山神泉園ユースに泊まることにする。
ペアレントさんは、一風変わった雰囲気の持ち主だった。
ユースの子供たちと遊ぶ。
小学校2年生のクニアキ君、5歳のヨウコちゃん、4歳のマユミちゃんである。
クニアキ君とは、漢字クイズをして遊んだ。

午後11時30分、就寝。
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  1. 2005/05/31(火) 02:23:15|
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残ってるぞ(パートⅠ三日目)CB500Four 1980/11

さすが12月中旬。
冷え込む。
後輩は、少々バテ気味。

寒さに負けず、第66番雲辺寺を目指す。
結構、標高の高いところにある。
細い山道を登っていくと、凍結していると思われるところもある。
取り敢えずは、無事に到着した。
納経を済ませて継ぎに向かう。

第65番三角寺へは、道標もあまりない。
舗装路ではあるが、勘に頼って走ったため、道のりが長く感じる。
焼山寺へ行くのと同じように、「まだか?まだか?」といった感じ。
それでも到着。
気がつけば、愛媛に入っていた。

第64番前神寺へは、今回では一番長く走り続けたかも?
30kmほど、信号に引っ掛からなかったラッキーもあった。
第63番吉祥寺、第62番宝寿寺は、国道沿いにあるので、すぐに見つける。

第61番香園寺を目指すが、一度通り過ごしてしまった。
氷見とかいうところまで走って、バックする。
着いてビックリ!
「なんじゃ?この寺は?」
鉄筋コンクリートの巨大な建物が眼前に!
これが本堂?
ちなみに「子安大師」ということらしい。

後輩が帰りたがっているので、帰るしかないか?
連れてこなければ良かった・・・
初めてのツーリングにしては、ハードすぎたのか?
アメリカンで山道を随分と走らせたし・・・
取り敢えず、あと1ヵ寺行くことにする。

第60番横峰寺は、難所だと聞いていた。
寺までは、絶対に山道を歩いて登らねばならない。
湯浪というところを目指す。
途中からは未舗装路に変わる。
行けるところまでバイクで入って行った。
後輩を残し、一人で山道を登りはじめる。
足下も悪く、アブが周りでうるさいぐらいに飛んでいる。
刺されてはたまらない。
ほとんど駆け足で登って行った。
どれぐらいの時間、歩いたのだろう?
約1時間弱?
寺に到着!
下山の時には、すでに暗かった。
足下に気を付けながらも、やはり駆け足。
約30分で下山完了。

何とか、60番まで終わった。

心を四国に残しながらも、帰るしかない。
フェリーに乗るために、今治港を目指す。
港で、昔TVで見た「おはなはん」の人形を買った。

今回の全走行距離は、635.4km
遣った費用は38,475円
当時の納経代は200円だった。

「またこなければ」と思った。
次からは、一人で来るに限る。
今回はこれにて打ち止め。

ちなみに、今回の持ち物
【遍路関係】
納経帳・地図
【服装】
体操服・Gパン・靴下(5)・ジャージ上下・運動靴・ヤッケ
【雨具】
カッパ・傘
【救急品】
包帯・湿布・ガーゼ・脱脂綿・消毒用アルコール・頭痛薬・腹痛薬・保健書コピー
【バイク関係】
パンク修理剤・ガムテープ・針金3m・ビニルテープ・チェーン油・ヒューズ・車載工具
【その他】
タオル(6)・ビニル袋・カメラ・ロープ・目覚まし時計・軍手
  1. 2005/05/30(月) 12:24:30|
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残ってるぞ(パートⅠ二日目)CB500Four 1980/11

早朝に民宿を出発。
早く出たのは、高松市内を抜けるからである。
渋滞は回避したい。

今日の最初は、第88番大窪寺である。
途中のガソリンスタンドで、寺までの地図を書いてもらう。
持っていたのは、道路地図だけであった。

大窪寺に到着すると、参拝者は我々だけであった。
さすがに結願寺だけあって、大きい。
門前の店も閉まっていた。
駐車場に「飛猿閣」と書いてあり、檻の中には猿がいた。

納経を済ませ、早々に第82番根来寺へとバイクを走らせる。
第81番白峰寺とは、スカイライン沿いにならんでいる。
非常に快適に走れる道であった。
道も景色も抜群!

スカイラインを下りて坂出方面に走る。
途中で昼食に立ち寄るが、そこで白峰寺で一緒になったバイクの老人3人と偶然にも同席。
姪御さんが、私の実家のすぐ北側の町に住んでおられるという偶然もあった。
我々は、第73番出釈迦寺に行くので、ここでお別れした。

はて?
どうもおかしい?
お寺の近くになると道標が多いのに、なぜか見あたらない?
それもそのはずである。
我々は札所番号を逆に回っているのだ。
逆方向の車には、そこまで親切ではないようだ?

結局、辿り着いたのは第71番弥谷寺であった。
ひたすら続くかと思われるような石段。
しかし登り切ると、そこには磨崖仏が待っていてくれた。
剥き出しの岩肌に、仏様が刻まれている。
冬だというのに、汗をダラダラかいて登った甲斐があった。

石段を下りて、第72番曼陀羅寺へと走る。
順に回ると、これほど楽なのか?
そう思わせるほど簡単に見つけることができた。
不老松が迎えてくれた。

そして、初めに目指していた第73番出釈迦寺へ。
曼陀羅寺からは、すぐに行き着くことができた。

ここからは、また逆に回る。
第70番本山寺は、すぐに見つけることができてホッとした。

第69番観音寺と第68番神恵院は、同じ場所にあった。
この時点で、午後5時半。
納経時間は6時までのはずだが、冬の日は短いのですでに納経所が閉まっている。
しばらく待たないと納経できない。
「6時までやったら、6時まで閉めるなよなぁ」と思う。
待ち時間が惜しい。

第67番大興寺で本日は終わった。
今日の予定では、池田にもどってユースに泊まることにしていた。
納経所で、池田までの地図を書いてもらった。

池田ユース(現在の阿波池田ユースとは別)に、電話を入れる。
飛び込み専門である。
なんと!
冬期はユースを閉めているとの返事・・・
そこを何とか、素泊まりだけで泊めてもらえることになった。
※これを書いている2005(平成15)年現在、池田ユースは閉館している。

途中の駅で、明日から入る愛媛の地図と土産を買う。
地図を書いてもらってはいたが、分からなくなり地元のバイクに先導してもらう。
感謝!

ユースに到着すると、「風呂も食事もない」と聞いていたのに風呂は沸かしてくれていた。
食事は、途中で買ったパンとソーセージ。
この日も、グッスリと眠ることができた。
翌日は、いよいよ愛媛県に入っていく。
  1. 2005/05/30(月) 09:38:38|
  2. 遍路
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残ってるぞ(パートⅠ初日)CB500Four 1980/11

いつの間にか大学も卒業。
韓国へ考古学の教授について行った。
法学部だったんですが、なぜか一緒に。
ビルマ、フィリピンへ慰霊祭の随行員として行く。
海外での経験は、今の自分を作る礎にもなている。
いつか、まとめてみたい。
銃剣道で全日本学生3位にもなれた。
就職も順調に決まった。
それも出世コースに乗っていたと思われる成績。
しかし!
就職を、一日前に蹴飛ばした。
「教師になりたい」
その夢のために、決まっていた就職を止めてしまった。
高校で日本史と地理の非常勤講師をする。
非常勤講師であるから、職がない期間もある。
トラックの運転手はじめ、いくつかの仕事を経験した。
そんなある日、ふと納経帳が目に留まった。
相変わらず虫食い状態の納経帳。
「これは、なんとかしたいな」
そう思った。
ちょうど、仕事をしていない時期でもあった。

1980(昭和55)年11月19日
計画を立て始めて。
バイクを手に入れているので、ツーリングがてらである。
今回で、納経帳を終わらせる予定。
たまたま家に遊びに来ていた高校の後輩曰く。
「バイクの免許取って、バイク買ったから連れてってください」
簡単に引き受けた。
私が500ccで、後輩は250cc。
これが、予定を狂わせることになるのだが・・・

12月6日
東神戸港で午前2時20分出航の徳島行きフェリーに乗った。
5時30分、徳島港着。
いよいよスタートである。
かなりの虫食い状態なので、時間ロスを減らしたい。
最短距離で進めるように計画を立てていた。
最初に目指すは第21番太龍寺。
まだ薄暗い中を快調に走る。
7時前に寺に到着。
本日1番の参拝だった。
バイクでなら境内まで登って行ける。
尼さんがおられて、お茶の接待を受ける。
少し寒いが、早朝の山の空気を吸いながらのお茶は美味し!

納経を済ませて、第22番平等寺を目指す。
すんなりと走り込み、第21番鶴林寺へ。
長田区に住んでいるという老人と出会い話をする。

国道へもどり、第18番恩山寺へ。
この日、初めて写真を撮った。
すぐに見つけることができて、一安心。
バイクだと、地図を見るにも止まらなければならない。

次に目指すは、第13番大日寺。
初めて友人と訪れた時、何も考えずに飛び飛びに回った。
虫食いを埋めていかなければならない。
測道にバイクを止め、お参りする。
腹が減ってきたが、バイクを停車させるのも億劫である。
ラーメンの看板が目に入るも、食べずに走り去る。

第12番焼山寺に向かう。
急峻な細い山道に入り、高度を稼いでいく。
未舗装路でバイクが振られるが、まだまだ大丈夫。

梨の木峠という峠を越える道を選択し、第11番藤井寺。
細い、渓流沿いの道をひたすら走る。
水の色が、深い緑色でありながらも透明感がある。
とても気持ちが良い。
無事に到着し、納経を済ませる。

鳴門方面にもどりながら、第5番地蔵寺を目指す。
番外に五百羅漢があると聞くも、時間がないのでパス。
少し心残り。

第4番大日寺は、すぐに見つけた。

次は、第10番切幡寺である。
途中で道が分からなくなる。
自分の現在地さえ不明。
時間がドンドン過ぎていく。
焦る。
なんとか到着。
ギリギリ納経時間の午後6時。
本日の予定終了。

時期が時期だけに、すでに辺りは真っ暗である。
慌てて今夜の宿を探すことにする。
幸い、切幡寺麓の民宿「錦青」が泊めてくれるという。
飛び込みであるのに、夕食の準備もしてくれた。
風呂の後、宿の女将さんが声をかけてくれた。
「いろいろ子供に話を聞かせてください」
しかし、結構疲れていたので、寝ることしてお断りした。
非常に申し訳ない気持ちがあったが、明日の予定を確認する必要もある。
地図で確認をし、布団に入るとすぐに爆睡した。

取り敢えず、家で立ててきた計画通りに第10番札所まで回れた。
徳島県の虫食いは埋まった!
明日はいよいよ香川県に入る。
  1. 2005/05/30(月) 00:14:43|
  2. 遍路
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歩いてみるか?(二日目) 1978正月

翌日も早朝から目覚め、早い目に出発した。
正直言えば、前日の女の子に会いたかったが、なんせ早い時刻なので会えなかった。
ちょい、残念!

またぞろ歩き始めた。
しかし、1時間も歩かない間に家族連れの自動車が横に泊まった。
「最御崎寺の境内で見かけましたね?」
我が輩も覚えていたので「ハイ」と答えた。
「霊場巡りですか?」
「ハイ」
「一緒に乗って行きませんか?」
「エッ?」
またもや!

ということで、乗せたもらった。
一日中。
愛媛は宇和島の方だった。
親子で車遍路されているとのこと。
25番津照寺から、また歩き始めた。
しかし、さきほどの車が「一緒に行きませんか」と・・・
結局、乗ってしまった。
26番金剛頂寺、27番神峯寺、28番大日寺、29番国分寺、30番善楽寺、31番竹林寺・・・
なんと、神戸を出て2日目昼には高知に到着してしまった!!
いつまでも同乗させてもらうわけにもいくまい?
とか言いながら、ずっと乗ってたような記憶が?
32番禅師峯寺、32番雪渓寺、33番種間寺、34番清滝寺、35番青龍寺と、順調に打ち終えていく。

ふと気づくと、神戸を出るときの重苦しい心が消え、なぜか軽やかな気分であった。

「これで、この旅は終わった」と思った。

そのまま高知にもどり、列車に乗って神戸に向かった。
大歩危小歩危の風景を車窓から眺めながら。

たった2日の旅であったが、幾人かの人に出会い、人の親切に触れ、とても充実した2日間だった。
「ユースホステル」というものも知った。

しかし、「歩く」って決めてたのは誰?

この時も、まだ先へと道が続いていくことは考えてもいなかった。
  1. 2005/05/29(日) 13:37:53|
  2. 遍路
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歩いてみるか?(一日目) 1978正月

1978(昭和53)年1月3日

朝起きると突然に、「行くぞ!」と思った。
前年は、ちょいと不本意な己がおって、いろいろと引きずっていたので、それをブチ切るためにも!

誰も目覚めていない我が家を午前3時に発ち、神戸港の水中翼船乗り場へ向かう。
さすがに元旦三が日。
空いていた。
海路徳島へ。
徳島から牟岐までは電車を利用した。
そこから先は、徒歩である!
室戸回りで、行けるところまで行く終点のない旅・・・の予定だった。
四国八十八霊場を遍路する旅でもあった。

第23番札所薬王寺を過ぎ、一路室戸岬に向かって歩き始めた。
と、その時・・・
「何処まで行くのか?」
軽トラックが止まって尋ねてきた。
背中にリュックを背負い、如何にも「歩き」という出で立ちの我が輩であった。
「室戸岬まで行こうかと・・・」
「そりゃ遠いは、乗ってけへんか?」
「歩く!」と考えていたのに、すんなりと乗せてもらってしまった(^^;
室戸に向かう途中で、札所番外「鯖大師」にまで寄ってくれた。
さらに進んだところで、「うちはここらやけん、ちょっと待ってや」と言うなり、次の自動車を泊めてくれた(^^;
何という親切(;_;)
夕方には室戸岬まで着いてしまった・・・・

土産物屋が閉まりかけていたが、夕食代わりにパンを買った。
そこで「どこかで泊めてもらえるところはありませんか?」と聞いた。
そしたら、この上の24番札所最御崎寺はユースホステルとかをやっていると教えてくれた。
高校時代の友達が利用していたので「ユースホステル」という名前は知っていたが、泊まったことはなかった。

石段を登り、寺務所の前に立つと、「YH」の看板があった。
「ユースは初めてですか?」と聞かれたので「ハイ」と答えた。
「相部屋になりますが、いいですか?」とも聞かれたが、ここ以外に泊まるところなどない!
大部屋に通されると、すでに数人の方(ホステラーという名を初めて聞いた)がおられた。
結構、和気藹々とされていたのでグループで来ているのかと思いきや、ここで初めて出会ったばかりだと言う。
「へぇ、そんな出会いもあるんや・・・」
そんな感想だったと覚えている。

しばらくすると、一番年輩の方が「ミーティングを始めます」という。
「なんや?それ?」
自己紹介から始まった。
仕切っている方の自己紹介を聞いてビックリした!
「スポンサーが見つかったので自転車で世界一周に出る」というではないか!!
そのための足慣らしだと仰っていた。
その後、男女一緒にゲームが始まった。
確か、ミカンを手を使わずに隣の人にリレーするというものだった。
隣にいたのは同じ歳ぐらいの女の子。
あごと肩で挟んだミカンを同じようにしてあごと肩で受け取るので、なぜかすごく緊張した。
なんせ、相手の顔がメッチャ間近にあるんやから(突然神戸弁)
マジでドキドキしてしまった(*^^*)
楽しいゲームも終わり、眠りについた。
  1. 2005/05/29(日) 13:36:10|
  2. 遍路
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お四国デビュー(最終日) 1975春

本日は帰途につく。
新居さんが、車(セドリックでTVとかもついていた!)で送ってくれることになった。
途中、番外札所の種蒔大師に寄ってくださり、そこでも納経した。
そして、楽しい思い出をいっぱい懐に抱えて、3人は帰路に就いたのでした。
チャンチャン。

ちょっとした卒業旅行のつもりで行った四国。
そのついでに、遍路の疑似体験。
虫食い状態の納経帳。
それが、後々まで繋がってくるとは、この時点では思いもよらなかった。
  1. 2005/05/29(日) 00:24:14|
  2. 遍路
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お四国デビュー(四日目) 1975春

朝一番は金比羅参り。
麓の土産物屋が、「兄さんら、荷物預かっておいたげるわ」
ご厚意に甘えることにした。
長~い石段をトコトコと登り、ゆっくりと見学することがでけた。
そして、土産物屋にもどって「荷物、ありがとうございました」
そしたら、「兄さんらが今日初めてうちの店に足を踏み入れた人やねんが、買い物してくれんと今日一日縁起が悪い・・・」
なるほど、これも商売の極意か?
ということで、確か草鞋を買ったような記憶が???

何の目的地もなく、フラフラと動き回る。
無人駅に感動した!
駅前のお店で切符を買ったのだ!
確か、「金蔵寺」という駅やった。
神戸にはないもんなぁ・・・無人駅なんか。
今でこそ、自動券売機や自動改札で無人駅はあるけど。

また、足のマメが潰れた梅蔵がトラックをヒッチハイクしたので、ヒッチハイカーも経験した。

徳島にもどり17番井戸寺、16番観音寺、15番国分寺、14番常楽寺と打った。

夜が近づいてくるが、また寝るとこが決まってない・・・
懲りない面々である・・・
薄暗くなってきた。
14番と15番の間にある雑貨屋のようなところで、パンとソーセージとジュースを買い込んだ。
「どこか寝るところはないでしょうか?」
「そんなん、この辺りにはないんやけど・・・あそこの寺は誰もおらんけん、寺で寝たらどないねぇ?」
ん?
無人の寺?
15番国分寺のことらし。
で、そこに泊まることに決定!
最後の夜が、無人の寺とはこれもまたヨシ!

ラジオで明日の天気などを聴いていると、自転車がフラフラと近づいてきた。
「オイ、変なんが来たぞ」
「酔っぱらいけ?」
「なんかしてきたら、いてこましたろか?」
などと、若気の至りで乱暴な会話が飛び交う。
なんせ、柔道部2人と剣道部1人である。
「オイ、兄やんら・・」
(きたぞ~・・・)
「そんなとこ寝て、風邪でも引いたらアカンけん、うちに泊まりにこんけぇ?」
(エッ?)
「荷物、早いこと片づけなよぉ」
(・・・・・・・・)
結局、お言葉に甘えることになった。
誰や?
「しばく!」とかほざいておったんは?
イヤァ、人間って、なんて暖かいのだろう・・・(調子良すぎ?)

その方の家に到着すると、3畳と4畳半の二間に、ご夫婦と小学校2年生の女の子、3歳ぐらいの男の子の4人暮らし。
そこに、大きな男が3人も転がり込んだのです!
時を経ずして、また一人ご到着。
なんでも、大工の弟弟子さんだとか。
そう、大工さんの家だったのです!
突然、目の前にビールがドドドド・・・と、滝のように現れ、「飲めるんよ?」と仰る。
「いや、まだ高校生ですから・・・」
とは誰も言わずに、グイグイと1ケースがアッという間に空になった。
(現段階では、この時の飲酒は時効になってるはず?)
そう、その当時我が輩はまだ「下戸」ではなかったのです!

ふと気づくと鴨居のところに額縁が。
その中には「少林寺拳法五段」という免状が!
マジで、「しばかんでよかったなぁ・・・」と顔を見合わせた3人でありました。
きっと、しばかれていたのは我々だったことでしょう(^^;
  1. 2005/05/29(日) 00:20:26|
  2. 遍路
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お四国デビュー(三日目) 1975春

朝一番のケーブルカーで下山。
85番の屋島寺も打ち終えた。
84番一宮寺の後、80番国分寺へ。
79番天皇寺、78番郷照寺、77番道隆寺と逆打ちで進む。
76番金蔵寺、75番善通寺、74番甲山寺で打ち止め。

善通寺まで来ているのだからと、金比羅宮を目指す。
着いた時には、すでに夕暮れ。
駅の公衆電話で、今夜の宿を探す。
この日は、「風呂に入りたい」ということもあった。
「一心旅館」泊。
もちろん、金がないから素泊まり!
旅館の浴衣姿で記念撮影をする。

あちこち飛び飛びで回ってはいるが、多少はお遍路っぽい?
気持ちエェ一日やった。
  1. 2005/05/28(土) 20:52:32|
  2. 遍路
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お四国デビュー(二日目) 1975春

爽やかな朝(だったような気がする)
目覚めと同時に出発準備。
さて、何処行こ?
取り敢えず、鳴門公園に一番近い1番札所霊山寺から歩き始める。
気ままに歩きながら、3番札所まで。
なぜか4番5番を飛ばして6番と7番札所へ。
友人の高校の同級生の実家、8番熊谷寺に行ったことは覚えている。
ここも留守・・・
よほどついてないのか?
諦めて、9番札所まで歩いた。

真っ直ぐ行けばよいものを・・・
地図があるものだから、あちこちをフラフラ・・・
我々の服装は、当時流行っていたツナギ!
当に、遊びに来ている服装なり!

途中で、遍路姿の女子高生風二人組の後ろ姿を発見!
声をかけて、振り向いた二人を見て、唖然!!
金髪ではござらんか!!!
年の頃は、我々と同じぐらいか?
「ハロー、エクスキューズミー」
「フォト・・・ん?ピクチャーか?・・プリーズ ギブ パチパチ(シャッターを押す真似)」
「イイデスヨー」
日本語やんけ!
いやぁ、役得役得!(何がや?)
ホンでもって、時間が過ぎていく・・・

その後結局、バス&電車&歩きで屋島を目指すことになった。
87番長尾寺と86番志度寺を経由して、一路屋島へ。
のはずだったのだが?
屋島の下についたと思ったら、八栗寺の麓やった・・・
おまけに、ケーブルカーも終わっていた。
「どないしょ?」
「歩いて登るけ?・・・」
結局、参道を歩いて寺まで登った。
着いたら辺りは真っ暗・・・
昨日と同じ轍を踏んでおるような(^^;
土産物屋が店仕舞いしとったから、あわてて竹輪を2本買うた。
(だんだんと、神戸弁になってきた)
ほんでも、また寝るとこがない。
「途中に、稲刈りの後の藁が積み上げてあったんとちゃうけ?」
「あん中やったら、温いかも知れへんな」
と、話をしているとお寺の方が出てこられた。
「庫裡でよければ、朝が早いけど寝かせてあげますよ」
やった!
ということで、お寺の本堂で木魚を枕に(ウソです!)深い眠りについたのでありました。

ウロウロしながら、徳島から香川に入っていた模様?
「のんきな父さん」の像があったのは、どこだろう?
土讃線とかいう鉄道に乗った記憶はある・・・
  1. 2005/05/27(金) 20:36:21|
  2. 遍路
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お四国デビュー(一日目) 1975春

高校2年も終わりの春休みだった。
和歌山の友人二人と、リュックにシュラフを詰め込んで四国を旅することになった。
お遍路なんて考えてもなかった。
バイクツーリングで物見遊山の四国へ。
それだけだった。
バイクでという計画は、3人の親たちの反対で公共の交通機関利用となった。

1975(昭50)年3月26日だったような?

和歌山港に集合し、小松島にフェリーで渡った。
まず、友人の高校の先輩宅(四国霊場19番立江寺)に向かう。
「先輩が自動車でいろいろと連れていってくれると思う・・・」
しかし、先輩はお寺の用事が忙しくて相手してくれなかった。
それまでは、徳島県全県地図しか持ってなかった。
そこで初めて、納経帳なる物と、歩き遍路の地図を買った。
だから、初めての納経は19番立江寺ということになる。
その後、どこか忘れたがどこかの駅までは車で送ってくれた。
そこからは結局、列車とバスを乗り継ぎ鳴門公園に向かう。
なぜ鳴門公園だったのかは不明である。

鳴門公園に着いた時には、すでに日が落ち、暗くなっていた。
初日から野宿!
公園のベンチにシュラフを広げ、さて飯・・・・
何もないがな!(T_T)
公園の土産物屋の戸を叩き、「なんでもエェから売ってもらえませんか?・・・」
梅茶漬けを作って食わせてくれた。
上にのっていたワサビが利いて、美味かった!
ありがとう、おばちゃん!
その時から、梅茶漬けのファンになりました!

ほんでもって、シュラフに潜り込んで寝ようとしたら、犬が寄ってきて吠えまんねん・・・
シュラフに入っているから、身動きがとれない・・・
顔を舐められるし・・・
そのうちに、3月末だというに雪がチラホラ・・・
お陰で犬は退散していったが、雪を見ながらの人生初めての野宿は、とっても寒うございました。

この日は、19番立江寺だけ?
  1. 2005/05/23(月) 22:14:35|
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初めの第一歩 1974秋

母親が団体の申し込みをしとった?
行けなくなって代わりに参加?
そこんとこは、ハッキリせぇへん?
とにかく、学校休んで参加したのは事実。
先生に言うたら、「気ぃ付けて行ってこいよ」で終わりやった!
ノンビリした時代やったんかな?

初日は、1~6番まで回ったかな?
色のくすんだ赤い山門や鄙びたお寺が記憶にある・・・
その日は、6番安楽寺で1泊。
朝のお勤めにも参加した記憶が?
翌日は、66番雲辺寺。
境内にショベルカーが置いてあり、何かの工事中?
見晴らしが良かった!
帰りのフェリーから見た夕焼けもきれいやったなぁ・・・

何の目的意識もなく、それぐらいの記憶しか残ってへんかな?
1974(昭49)年秋、高校2年生の時の出来事。

それが全てのスタートになった・・・
  1. 2005/05/23(月) 00:53:13|
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