四国遍路の道

1974年からの四国霊場遍路の記録(現在は1989年アップ中)

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残ってるぞ(パートⅡ初日)CB500Four 1981/11

あれから1年が過ぎようとしている。
夏には教員採用試験に通った。
通信教育で、小学校の教員免許を取った甲斐があった。
その後、高校の非常勤講師で地理を教えた。
そして、久々の無職状態。
納経帳を引っぱり出してきた。

1981(昭和56)年11月20日
前回の続きだから、今治スタートになる。
今回は、前回の反省を元に一人で行くことにした。
その方が気楽であるし、自由がきく。

東神戸港22時40分初の今治行きフェリーに乗った。
東京の多摩から来ている人と一緒になる。
宇和島にいる従兄弟の結婚式に参列するらしい。
おめでたいことである。
しばし話をして眠りについた。

翌21日午前6時30分、今治着。
今回は第59番国分寺が最初の札所になる。
道が分かりにくく、交番で尋ねる。
途中に古墳があった。
そして到着。
今回最初の納経を済ませる。

第58番仙遊寺、第57番栄福寺と無事に打ち終える。
今回は、完全な逆打ちである。

第56番泰山寺は、気を付けなければ通り過ぎてしまうところであった。

第55番南光坊は、町の真ん中にあるといった雰囲気であった。

第54番延命寺を打ち終え、昼食を摂ることにする。

今治から松山に向かう国道196号線沿いの喫茶店のような店に入る。
「臍島」という名前であった。
店の目の前に同じ名前の島があり、そこから取った店名だということ。
遅い朝食はモーニング。
セイロンティー、トースト、エッグで280円。
店員の愛想も良かった。
バイトっぽい女の子が出発前に声をかけてくれた。
「帰りも寄ってくださいね」
まず寄ることはないだろうが、こんな一言が一人旅には嬉しい。

雨模様なので、カッパを来て出発。
チェーンが弛んでいるようで気になる。

第53番円明寺、第52番太山寺と終わって走り出した途端にオイルランプが点滅をはじめた。
気にはなるが、先に進むしかない。

第51番石手寺は、有名な寺らしい。
たくさんの参拝客で賑わっていた。
しかし、なんとなくハデな感じがした。
どちらかというと、寂しいぐらいの寺が好みである。

山門横の51番食堂で、うどんと大飯を食べる。
これが昼食になる。

第50番繁多寺着。
ここまでは、車が先導してくれて助かった。

二人のお婆さんに道を尋ねて、第49番浄土寺に辿り着く。

第48番西林寺は、分かりやすいはずなのに迷う。
迷っている間に、気がつけば山門前にいた。
何となく、不思議な感じがした。
門前で草餅を売っていたので、買って食べる。
100円だが美味い!

番外の文殊院にも立ち寄った。
衛門三郎縁の寺ということであった。

第47番八坂寺に向かう途中で、農道に入ってしまったが強行突破。
無事に到着。
ずぶ濡れで、早く風呂に入りたかった。

第46番浄瑠璃寺は近かったので、お参りすることができた。
納経をしてくれた女の人は、とてもきれいだったのが印象的。
納経が終わって納経所を出ようとしたときに、声をかけてくれた。
「ごきげんよう」
お寺にしては、何となく粋な感じがした。
本日はここまでである。

松山市内にもどり、道後温泉近くの松山神泉園ユースに泊まることにする。
ペアレントさんは、一風変わった雰囲気の持ち主だった。
ユースの子供たちと遊ぶ。
小学校2年生のクニアキ君、5歳のヨウコちゃん、4歳のマユミちゃんである。
クニアキ君とは、漢字クイズをして遊んだ。

午後11時30分、就寝。
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  1. 2005/05/31(火) 02:23:15|
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